きの【白血病 闘病記】

2022.8〜 急性骨髄性白血病を発症。別ブログで【闘病記】を書いていたものを、こちらにも残しておきます

【闘病記】入院までの時間

白血病が判明してから

 入院までの数日間のこと

 

 

前回からの続きになります。

 

 

 

***

 

入院までの数日間は、火事場の馬鹿力というか、心身ともに過活動。睡眠時間も3時間くらい!でも不思議と疲れ知らずでした。

 

 

金曜日に白血病告知があり、土曜日は午前中は買い物、家族でお昼を食べ、午後は一人職場の片付け、生徒と面談、買い物して、夜は食材消費と作り置き。

 

 

土曜夜は娘と一緒に寝て、娘と大泣き。

 

 

 

そして夜中…

ゴソゴソとクローゼットの秘密の箱を開け、自分が死んだ時に家族が困らないように、いや、私が恥ずかしくないように、昔の手紙や日記や思い出の類を整理して。

 

 

可燃ゴミ不燃ゴミ、そして畑で燃やすゴミを仕分けです。

 

 

畑で燃やすゴミ…?

まぁ結局のところ、燃やすほどでもない?、とビリビリ破って可燃ゴミに入れましたが。

 

 

 

自分が恥ずかしいから…って、死んだら恥ずかしいも、何も、ないのに、ね!

何にしがみついているのだろう、私は。

 

 

 

そうこうして、入院まであと2日間。

 

 

やることいっぱい!

日曜日は片付けや準備予定を変更し、15時まで娘のために時間を使いました。

 

 

何をしたかというと…

 

 

 

夏休みの計画!

 

 

 

困っていた学習計画の他、お母さんがいなくても不安にならないよう食事や健康面について、友達や夫と出かけるお楽しみの計画も随所に盛り込みます。

楽しい夏休みになるように

お母さんいなくても、さ。

 

 

日曜日は娘のこれに15時までかかり、その後は夫へ家庭の諸々を引き継ぎです。

家事の中でも夫ができそうな掃除や娘の学校関連、地区関連、そして1番大切なのが金銭管理(我が家は私が全て管理していました)預貯金保険や投資関係の確認!

 

 

私に何かあっても困らないように、、、とメモに残しながら。夫と真面目に話し合うから、これまた時間のかかることったらない。普段から夫婦間で話していないツケもきた。

 

 

自分の独身時代からの投資関係は夫は知らずで、今回初めて知ったというか…まぁ、まさか自分が早死にするなんて思ってもみないですからね。熟年離婚や老後独り身も考えて、備えあれば憂いなしのつもりでした。

 

 

もし突然死ならば、こういう家庭内の事務的な諸々って、どうなるのでしょうね…

 

人はいつ何時、何が起こるがわからないから、

パートナーに秘密にしておくのはどうなんだろうか、なんて今回改めて思いました。

 

昔でいうタンスへそくり?とか、パートナーは分からないだろうなぁ

 

 

墓場に持って行けるものなんて無いのに。

 

あるのは生きてきた思い出だけなのかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

そして夕方から夫にも手伝ってもらい、入院準備です。

 

ネットで検査し1ヶ月入院する際に必要な物を並べててから詰め込みます。そうそう、入院中に「エンディングノート」を書こうと入れました いつか書こうとしまってあったヤツ。

 

 

 

 

 

そして、翌日月曜日。

早朝4時に職場へ出かけて、片付けや引き継ぎ準備。一軒家の職場です、ガサゴソ朝から…、ご近所さんも驚いてたかしら

 

 

 

 

月曜日もスケジュールいっぱいです。

仕事関係者に連絡、

11時に会議に出て、同僚の先生方へ報告。先生方にとっても衝撃の時間だったようです。

 

 

マックで娘を待たせておき、職員へ挨拶後は娘と日赤近くのデニーズでお昼を食べて、13時に日赤で入院前コロナ検査。

 

 

 

「お母さんとこうやって外食するのも当分ないから、今日は何でも好きなの食べようね」と。

娘はハンバーグドリアとパフェ、私は普段は頼まないステーキランチを。

 

 

この時、ホッとしたからかな。

2人で食べたり出かけたりした思い出がブワッと溢れてしまい、デニーズで号泣。

 

 

泣けて泣けて。でも栄誉つけなきゃ!とステーキを口に入れて、噛んで噛んで、泣いて泣いて。

 

娘も涙堪えてた。

 

 

 
 
そして日赤でコロナ検査後は、娘の洋服や下着を買いに行き、用事も済ませて18時頃帰宅。もうグッタリです。
 
 
 
やれることはやった!
 
 
仕事も家庭のことも娘のことも、もう、これ以上できないってくらい、終わらせることができた!
 
 
 
明日は入院だ。
 
 
明日からもう私はここにはいないんだ。
 
 
達成感と不安感。
 
 

 

その夜はさすがに疲れ果てて、夕食を作る気力ゼロ。そしたら、みかねた娘がお蕎麦を茹でてくれました、

 

 

お蕎麦と納豆と桃の夕食。

入院前の最後の夕食に、好物を作ってあげられなくてごめんね。

 

 

この夜一緒に食べたお蕎麦は一生忘れません。

 
 
 
 
この夜もさして眠れず朝がきました。
 
 
 

 

続きます。

 

 

 

 

長いブログを読んでくださりありがとうございます。

もうちょっとだけ当時のことを振り返って、ここに残しておきたいと思います。